湯豆腐のようななにか

はじめに少しだけ気合を入れて。その後はだらんと。

ジュエリーハーツアカデミア 総評感想など

ジュエリーハーツアカデミア 総評感想など
筆者:やーみ(@suxamethonium28)

※当然のようにネタバレなど注意

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・「意志」のお話というべきか、「エゴ」のお話というべきか
・「友情」の独善性
・逆境の陳腐化
・どうしても語りたいシモのお話など

 

※上記のスクリーンショットはきゃべつそふと公式のガイドライン上問題ないと考えていますが、公式からの削除要請には応じます。

 

 本作の公式サイトのstoryにおいて見出し文字として掲げられているフレーズがある(1)。それは「輝け、僕らの意志ーー」という言葉だ。



 このページの末尾にはこうも記載されている。
「世界を羽ばたく意志と絆の冒険譚──ここに輝く。」

 このことから本作は意志に関するお話であることに異論はなかろう。

 

 さて本作では「意志(以降「意志」は国語的な意味として用いる)」の結晶である【意志(以降【意志】は物質的な宝石の意味として用いる)】を用いて得られる超常の力によって主人公は敵対勢力と相まみえる。

 本作はバトルモノであり、主人公たちの成長譚でもある。バトルモノを盛り上げる要素として一昔前に言われた週刊少年ジャンプにおける三要素「友情・努力・勝利」が挙げられるが(2)、本作においてもそれは同様である。世界の半分以上を石化させる強大な敵に対して一度は無様に敗戦し、仲間との友情を積み、努力をし、最後には勝利する。

 この作品は【意志】を用いて戦う以上、その努力は【意志】の強化に重きが置かれ、これはすなわち「意志」の強化であり、まさに精神的な成長にほかならない。

 

 では本作において【意志】、ひいては「意志」はどのように強化されたのか具体例を見ていくことにする。

 メアであれば元々「何事も、知れば、怖くなくなる」という思想を背景とした恐怖を克服する手段としての智識という「意志」でトパーズの【意志】を得ていた。博士から救助に来たペガサス組(主人公たちの所属するクラス)の面々とふれあい、最終的に「恐怖」は乗り越えなければいけない心情ではないとして覚醒した。

 

 

 さてここで一つ本作で描かれたテーマがある。それは「友情とはなにか」である。

 

 物語冒頭で見られたようにただ寄せ集められた(ように見えた)だけのクラスメイトには当然に友情は発生しない。そして演説に際して銃撃された姫様と犯人のヴァンパイア至上主義者との間や、ルビィを除く「メデューサ」構成員と主人公との間にも見られたように、当然に同じ種族であるからというだけで友情は発生しない。

 では友情とはなにか。本作はこの議題に対して以下の答えを返す。

 

「ーーまだ、わからない!」
「でもーーわたしは、メアちゃんを友達と思ってる! なら、後はメアちゃんがわたしを友達だと思うだけだ! 簡単だ!」

 すなわち「友情」は個々人がそれぞれ相手のことを「友人」だと思えば成立する関係性であると述べており、これは種族や身分など外的な要因を一切斟酌しない極めて個人的な事情である。

 

 そしてときに友情があるからこそ互いに衝突する。衝突自体が片方の生命の危機を呈したとしても、最終的にもたらされた結果が加害をなした側が「スッキリ」したのであれば被害を受けた側としてはそれで良かった、として終了する。友情の独善性はここにある。

 

 「意志」もまた独善性が高い思想である。博士との戦闘においてシャトヤンシー(変色)を起こしたメアは博士に対して述べる。

「ワタシに創造できぬものなどないーーんだったよね? なら、ダイヤだってエメラルドだって一人で完結できたはずなんだ」

 上記のセリフは博士の「意志」と行動が合致していないことをメアが糾弾する一幕である。

 

 また別のシーンを一つ提示しよう。これは「残雪:キル」とベルカとのラストバトルの際に、ベルカの【意志】が最も輝いていた折の一幕である。

「あなたがどんなに悲惨だろうが、世界が穢らわしく見えていようが、この闘いに何の影響も及ぼさない。どうでもいいことだわ」
「ーー私、負けるの嫌いなのよね。だから勝ちたい」
「本能なんて知ったことじゃないのよーーいつまでも種がどうとか血がどうとかーーどうでもいい議論をしないでくれるッ!?」

 さて上記メアの糾弾では博士の「意志」が初志貫徹出来ていないことを指摘した。そして強化された後のベルカの叫びが上記の通りであった。

 いずれも「意志」とは「自らがそれを成したい」という思想であることを示す。言い方を変えると、「それを成したい」というレベルの話でしかなく、「意志」もまた極めて個人的な事情であることである。

 

 メインヒロインであるアリアンナはこの「意志」や【意志】のあり方をして、以下のセリフを述べる。

「だから、どんなに残酷でもーー意志(エゴ)をぶつけさせてもらうさ。わたし達なりのやり方でね!」

 そう。上記を更に換言すれば、「意志」とは「エゴ」であり、「エゴ」であるからこそ、他人にぶつけるに足るものとなるのである。そしてぶつけた相手がスッキリしたのならばそれで良し、とするぶつけた相手とぶつけられた相手との関係性をして「友情」と言わしめる。この独善性を是とする描き方こそが「世界を羽ばたく意志と絆の冒険譚」ではなかろうか。

 


 話は大幅に変わり、逆境の陳腐化について語る。

 冒険譚である以上、主人公たちはいくつもの敗北、逆境におかれる。本作が【意志】を用いて戦う作品である以上、その逆境・敗北の跳ね除け方は大別して二つになる。一つが新たな他者の介入、もう一つが【意志】の強化である。【意志】の強化とは、「意志」の強化であり、それは「意志」の独善性の純度を高め、磨き上げることにある。

 本作では大量の敗北、逆境が提示された。最序盤のバジリスク・ギメル戦にしかり、ゴーレム・メア戦にしかり、ルビイ戦にしかり、メイナート戦にしかり、キル戦にしかり、ギメル戦にしかり、エウリュアレ戦にしかり。これらの多数の闘いに対して都度他者の介入であったり、【意志】の強化であったりが描かれる。2、3回であれば盛り上がる演出として楽しめるこれらの描写も数を重ねるごとに陳腐化してしまう。正直後半の戦闘描写から筆者は気持ちの盛り上がり方が失速していた。

 特にエウリュアレ戦は正直蛇足としか思えなかった(ダイヤモンドが礎となる、の描写に必要であることは理解できるが……)。

 


 以下雑多な小話
・「食事や排泄すらも行わないヴァンパイア種」ということは排尿や排泄も行わないのかと思っていたら、排尿はあるのね(ベルガのR18シーンしか確認していないが)。

・バトルシーンの盛り上がりは個人的に失速したが、それはそれとしてやはり本作は面白い。エロスケ基準なら82、3点くらいかな。

 

・「意志」が社会制度や種族に依らない「エゴ」であるという本作の主題上、人種別の3国分離策での実際の描写などは描けないのは当然だが、そうなった世界も少し見てみたいものだ。


・中盤までの飛び道具である、叙述トリックことヒロインがヴァンパイアであることがわかる食餌シーン。読者に生理的嫌悪をもたらすためにわざとやっているのは分かるけれども、吸血されている側のヴァンパイアが死んだような顔色と脱力具合なのはちょっと解せない。

・ヴェオ×ノアも良いと思うが、ノア×ヴェオもアリだと思います!

 

・個人的に一番盛り上がったのは、ノア銃撃後の屋上での男二人の決闘シーン。アレは素晴らしかった。直前のノアの演説とのコントラストがキレッキレだ。



(1)きゃべつそふと公式サイト
http://cabbage-soft.com/

(2)Pixiv辞書 友情・努力・勝利
https://dic.pixiv.net/a/%E5%8F%8B%E6%83%85%E3%83%BB%E5%8A%AA%E5%8A%9B%E3%83%BB%E5%8B%9D%E5%88%A9