湯豆腐のようななにか

はじめに少しだけ気合を入れて。その後はだらんと。

翠の海 総評感想

翠の海 総評感想
※ネタバレ・駄文注意
執筆者:やーみ @suxamethoniu28

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この説明を見た瞬間に「この時間のズレによるトリックが!」とか思うじゃん。無いんだな、それが。

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この説明を見た瞬間に「傘が存在しないことによるトリックが!」とか思うじゃん。無いんだな、それも。



 登場人物の漢字変換が面倒なのでカタカナで失礼します。

 

 さてこの物語は多分「善」と「悪」に関する物語なのであろう。館の住人は何らかの事情によりある種「捨てられて」館に存在している。ゆえに館は「楽園」としての側面よりも「牢獄」としての側面のほうが強い。

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 人は何を持って人間の行動を「悪」と判断するのか、そしてその「悪」の行為は罰せられるべきなのかに関して、いくつか作中の主張と私の持論とを対比させながら論じて行きたい。
 まずこの物語においては物事を「善」か「悪」か「悪くない」に分類している。チシャが子どもたちと遊んであげることは「善」であって、作中においては「楽園」を破壊する行為は「悪」である。

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 そして登場人物たちが抱えている後ろ暗い事情に関しては「悪くない」という言葉で主人公が慰めにかかる。例えば過去の幻覚に取り憑かれている主人公に対してツムギが声をかけたシーンを考える。このとき主人公には二つの行動の選択肢が発生し、第一にツムギの声を受け入れること、第二にツムギの声を拒絶することである。後者においては発狂した主人公は「楽園」の秩序を乱すものとして断罪され、殺害される。「悪」だから「罰せられ」たのであろう。

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(発狂エンドのスクショ、撮ってなかった。あはは)

 第一の選択肢を取ったときにおいて、主人公はツムギの声を受け入れたもののツムギがボディコンタクトを取ろうとした際に、その手を払いのけ「ツムギが手を伸ばしてきたからだ。俺は悪くない」と混乱する。

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 あくまで極めて個人的な考え方ではあるが、「善悪」はそのように使うものではないと思う。特に悪に関しては私は「悪い」ということと「故に罰を受けるべき」ということを区別するべきだと思っている。法学の専門家でも何でもないので恐縮であるが、「違法行為」と「違法性阻却」ということを考えてもらうとわかりやすいであろう。作中の「楽園」システム維持のために幾度となく行われてきたであろう「異端者」の殺害に関しても、これ自体は違法行為であって「悪い」ことなのではないか(無論作中において司法が登場する幕は無いが)。そしてその「悪い」ことをしなければいけないような事情が存在した。

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この辺が最高潮。

 みちるが初めて館に訪れた時に周囲に居た三人は既に狂っていて、みちるはその狂気に常に晒されていた。捨てられた人間たちの最後の砦として機能させるために、狂った人間を排除するシステムを作り出し、「楽園兼牢獄」における安寧の生活を求めた。みちるの立場から見ればその行為は「仕方がなかった」ものであって、それを罰せられても困るというものであろう。故にこのみちるの行為は罰せられるべきではないというロジックである。


 この文章を書いている途中に気がついたが、作中の「悪くない」という主張は「違法性阻却されるべきで罰せられるべきではない」くらいの意味であったのだろうか。作中において主に「異端者」の殺害を担っていたみちるとツムギはどちらも「罰せられず」その生命を落とすことはない(館の主の世代交代をしたツムギルートを除く)。その場合でも「バツの悪さ」だけは彼女らは抱えているわけで、これが「悪い」こととすれば矛盾しない。
 話が私の中で混乱してきたのでこの辺で筆を置く。以下は物語通しての色々な雑感である。
 

 

 全体的に余計なBadENDが多いと感じた。この物語は十六個のBadENDが存在しており、詳細に数えていないが内六個はBadENDであった。そのうちEND II, III, Vは蛇足だと考える。順に早々に屋敷の秘密を探りに行って消される、(忘れました)、主人公が復讐心に支配され狂うである。これらの要素は放っておいてもタクマ君の死であったり、マキナの狂い方であったりで描出されるわけで、二度手間と考えている。

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 あとこれは完全に私の読解力の問題であるのだが、セーブアンドロードで別ルートに入ろうとする時に、主人公は「憎悪を受け入れる」のか「幻聴を受け入れる」のか「楽園を受け入れる」のかが読者である私の中でかなり混乱する。シナリオを後から振り返ればこれらは一意に定まっているので作品上の瑕疵ではないのだが、一読者の感想として残しておく。

 第XIII ENDは中途半端にループ要素が入っていて、蛇足としか思えない。

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 サラルートは全Skipした。読むのが苦痛だった。他のルートは全体的に短めながらもある程度登場人物たちの事情とそれへの思いが描けていたと思う。ただし恋仲に至るまでの過程にはかなり拙速さを覚えた。序盤の館の薄気味悪さを早々にバラしてしまったのは、彼彼女らの事情を描きたかったのであろうか。製作者の意思を感じた。

 

 描きたかったことが最初と最後で少し違っているように感じ、そこには違和感があった。雰囲気は前半の雰囲気が好きな人には駄作に思え、後半の罪やら狂いやらが好きな人にはまあ受け入れられる作品だと思った。