湯豆腐のようななにか

はじめに少しだけ気合を入れて。その後はだらんと。

Narcissu 2 総評感想

Narcissu 2 総評感想
やーみ@Suxamethonium28

 

素人の戯言注意

 

 さてナルキ2をプレイした。ナルキ1といいナルキ2といい、私は過去にプレイ済みであって、今回は再プレイであった。幸いにして初回プレイをした八年近く前と比べてこの手の作品を読み下す事ができる程度には、感性が成熟したのであろうか。

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 片岡とも氏は今作もあとがきに準じるところにおいて以下のように語っている。

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以下引用
☆エピローグについて

あくまでも、無数にある可能性の一つとして、
書かせてもらいました。

きっとこれも、こうあってほしいという希望かも知れません。

自分としては、ここにある数行を書きたいが為に、
本編の25000行を書きました。
以上引用

 彼が言う「ここにある数行」とは、ナルキ2 のエピローグの一部分である。ところが残念ながらエピローグは数行の範囲で収まるものではない。これを鑑みるに彼が描きたかったものはエピローグの中の数行である。これが何であるかを考える。
 エピローグの要約は次に示す通りである。まず舞台は主人公が淡路島へとセツミを送り届けた一週間後程度の七階である。この前に主人公家族とセツミの家族と会話があった。七階に戻ってきた際に新しく赴任してきたボランティア(姫子の妹)と会話をする。その会話の内容はセツミの最期の様子と、七階に口伝されてきたルールの継承依頼である。ルール継承依頼の中に主人公は新たなルール「…残す者には…笑ってあげて…」を付け加えている。

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エピローグの一部

 さてこの中で彼が描きたかった数行はどの部分であるのか。個人的には主人公が新たなルール(笑え)を追加したシーンではないかと考える。

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 理由は第一に姫子とセツミそれぞれがどのように自らの家族と向き合っているのかがよく対比的に描かれていた。第二に後半のメインテーマと思われるネロとパトラッシュ、アリアの話があったこと。第三に片岡とも氏があとがきに準じるところでナルキ2を制作した理由として、「旧ナルキでは描かれていなかったけど、本当は、セツミさんも、明るくて優しい人達に、囲まれていたんだってことを表現したかったんだと思います。もしくは、そうあって欲しいという願いからです。」と語っていることがある。

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 病勢末期の患者さんが抱える苦痛は主に四種類に分類されることはナルキ1の総評感想において述べた(1)。順に「身体的苦痛」「精神的苦痛」「社会的苦痛」「Spiritual Pain」であった。やや紛らわしいので補足しておくが「Spiritual Pain」に関しては「自分の存在や意味を問うことに伴う苦痛」である(2)。

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がんの療養と緩和ケア 国立がんセンター がん情報サービス 一般の方へ より(引用文献3)

 ナルキ2においてセツミが両親に対して抱えていた苦痛は「申し訳無さ」であるがそれらは金銭的な意味(つまり「社会的苦痛」)と社会的に迷惑をかけている事自体への苦痛(これが自己の存在の意味を問うていると言う意味で「Spiritual Pain」である)であった。

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セツミの苦痛

 一方で姫子が抱えていた苦痛の一つは殊更「バチが当たった」という表現で強調されていたように自分の今までの行動に対する自責の念でありこれも充分「Spiritual Pain」である。

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 よってこの物語でもやはり描かれているものは「Spiritual Pain」であろう。

 

 そして「Spiritual Pain」に対してナルキ1で提示された緩和法は「淡路島への旅行」であって、自己の存在目的を設定することであった。一方でナルキ2において提示された「Spiritual Pain」の緩和法はセツミには「母親に友達が七階の住人であることを打ち明けること」だったし、姫子や姫子が担当した少女には「周囲の人間の素早い立ち直りを神に願うこと」であった。ナルキ1とナルキ2における違いはこの、「Spiritual Pain」の緩和法に「他者」が介在する余地があるかではないだろうか。この「他者」は概ね家族などの周囲の人間を指している。姫子も姫子が担当した少女も、周囲の人間に対する緩和ケアという意味において、患者さん自身の笑顔を挙げていた。そして患者さん自身が笑顔になり得るための魔法として「日本全国何処にでも行けるための五万円」が挙げられていた。

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あえて構図を似せるところもまたニクい

 これらを要約すると、自分の人生の目的を見失わないことで患者さん自身の「Spiritual Pain」が和らいで、それが達成されて初めて他者が介在する「Spiritual Pain」が和らいでく、ということになると思われた。あとがきで片岡とも氏が語る「ナルキ1は骨、ナルキ2は肉」はこのようなことを背景にしているのではないかと考えられる。

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 「Spiritual Pain」は「自己の意義のゆらぎ」によって生じるものであるが、「自己」とは本質的に他者との関係性によって形作られるものであると考えることが出来る。これらの可能性に基づき語られる登場人物の葛藤は大変興味深く、臨場感をもって現れていた。この意味では名作ではあるだろう。
 個々人の価値観の問題ではあるが僕はナルキ1の方が好きだった。テーマの重さとナルキ1と比較しての長さが結構あったことと、セツミ・姫子・姫子が担当した少女の三軸で物語が動くゆえの複雑さが少々厳しかった。

 

以下引用文献リスト
(1)Narciss 総評感想 湯豆腐のようななにか
http://suxamethonium28.hatenadiary.jp/entry/2017/11/25/220959
(2)スピリチュアルケア wikipedia 2017/11/26閲覧
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%94%E3%83%AA%E3%83%81%E3%83%A5%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%82%B1%E3%82%A2#.E3.80.8C.E3.82.B9.E3.83.94.E3.83.AA.E3.83.81.E3.83.A5.E3.82.A2.E3.83.AB.E3.80.8D.E3.81.AE.E6.84.8F.E5.91.B3

(3)がんの療養と緩和ケア 国立がんセンター がん情報サービス 一般の方へ 2017/11/25 閲覧 
http://ganjoho.jp/public/support/relaxation/palliative_care.htm